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No.27 原爆と部落とキリシタン

 部落解放共闘九州ブロック県民会議第15回総会が、2月16日〜17日にかけて長崎市で開催された。第1日目の夜は、ランタンフェスティバル最終日で賑わう長崎市の夜をそぞろ歩いて楽しんだ。そして第2日目は恒例のフィールドワーク、平和公園を9時にスタート→長崎市永井隆記念館→浦上天主堂→爆心地公園→山王神社→浦上街道→坂本町国際墓地と語り部の説明を聞きながら市街地を上ったり下ったりの2時間半、表題どおりの学びの時間となった。
 1571年に開港した長崎にはポルトガル船が寄港し、貿易とキリスト教布教とが表裏一体となって展開された。鎖国の中で1634年に出島が造られ、1641年から1859年までこの地でオランダとの交易が続いた。多くの外国人が居留し、キリスト教も広がるところとなった。しかし1613年(慶長18年)幕府のキリスト教禁教政策が始まると、部落はキリシタン弾圧の手先となり、捕縛・処刑の役割を担わされた。
 まず平和公園、爆心地近くのこの丘には浦上刑務所があった。原爆投下時には81人が収容されており、中国・朝鮮出身者が少なくとも46人いたと言われている。公園周辺には刑務所の塀も残っている。鉄筋コンクリートの頑丈な塀は、原爆の爆風にも耐えて残っている。
 平和公園から永井隆記念館へ歩く。記念館で永井博士の壮絶な生き方を改めて知る。記念館から浦上天主堂へ向かう途中に中国総領事館がある。そのためこの道は右翼の街宣車も選挙カーもスピーカーのボリュームを落として通らなければならない。1971年、開港400年の式典に出席した中国大使は、長崎と諸外国の関係が400年続いていることを祝った上で、「中国と日本の関係は1000年以上続いています。」と述べている。
 戦前の浦上天主堂も、現在のところに立っていた。信徒達の労力奉仕と献金により、30年の歳月かけて1914年(大正2年)に完成した。そして31年後の1945年8月9日、原子爆弾によって崩壊した。戦後、長崎市長は遺構を原爆投下の祈念として保存することを議会で明言していたが、アメリカ政府関係者との会談後前言を翻し、天主堂の建て替えへと変節していった。1959年(昭和34年)、アメリカ合衆国とローマカトリック教会の力で原子爆弾による遺構は消し去られた。しかし、天主堂近くの小川の斜面には、吹き飛ばされた鐘楼の一部が当時のままに保存されているし、爆心地公園の中心地碑の横にも、天主堂遺壁の一部が保存されている。
 1718年、長崎奉行はキリシタン弾圧の監視役に使うため、浦上地区に部落を集団移住させた。原爆投下によってこの地が破壊されると、追い打ちをかけるように十メートル道路の建設、町名変更、そして「部落は長崎県にない」とする差別行政も行った。
 連合長崎の小石会長が、「長崎には外国人・障害者・被爆者・部落の4つの差別があります。」とあいさつされたが、今回のフィールドワークによって、キリシタンと原爆、そして部落が深くかかわってきたことについて、一部ではあるが見聞することができた。



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