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事務局長の部屋

主張
No.01 事務局長就任にあたって
 「主張」、大変かっこいい、また、力強い響きがします。前事務局長の横山節夫現会長が心血を注いできたこのコーナー、新米事務局長には少々荷が重い。
 題字はそのままに、しばらく、私なりの考えを思いつくままに書いてみたいと思います。私にとって第1回目となる今回は、自己紹介をさせていただきます。
 名前:佐藤 真(さとう しん)、生年月日:1954年8月3日延岡市生まれ、血液型:反省をしないO型、栄養状態:過剰に良好(=メタボ)。職業:延岡市役所職員。延岡市在住、妻一人、二人の子供は県外で金食い虫の私大生、母は老健施設に(要介護度5)。
 1979年(昭和54年)4月入職、宮崎国体の開催された年で、採用人員が多めにあったために(?)潜り込めたのか。4月1日が日曜日のため4月2日初出勤、たしか初日に組合からのオリエンテーションがあり、K委員長がまくし立て、Y書記長がギョロ目でにらみ、I組織局長が苦虫を噛み潰したような表情だったように記憶しています。その日に新規採用者全員が延岡市職労加入(怖かったから?)。ただし、私ともう一人はクソ生意気にも組合加入の意思を留保、翌日職場の先輩に連れられ組合書記局へ、初日付けで組合に加入させていただきました。
 この年は統一自治体選挙の年、まったく見たことも聞いたこともない県議候補甲斐重信、市議候補佐藤道男の選挙に動員され、職場の先輩に連れられ、いきなり地域念押し行動にも参加。最初の配属先は税務課賦課係(住民税や軽自動車税の課税をするところ)、4月中は例年土日もなく残業するところ、この年も例外ではなく毎日残業、ただし、選挙行動の日は、なんとなくそちらを優先することになっていたような。手当ての出る残業とまったくボランティアの選挙、昔の組合は強かったなぁ。
 組合役員歴は、採用の翌年1980年10月志願して市職労青年部の常任委員、その後順調にキャリアを重ね、1984年10月から3年間自治労県本部執行委員(在籍専従)、戻って半年間延岡市職労臨時専従、その後も楽しく組合役員を続け(一時、連合県北地協議長もしてました)、昨年(2006年)4月から在籍専従として2度目の自治労県本部役員、先月6月30日、連合宮崎事務局長に。
 1回目の専従のときは上の娘が生まれたばかりで、宮崎市に親子3人住みました。今回は妻も仕事をしており、母も延岡市内の施設に入っているため通勤しています。いまは選挙への対応から泊らせてもらっていますが、8月からはまた、規則正しい(?)通勤生活になんとしても戻りたいと考えています。


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